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  • 執筆者の写真萩野亮 / hagino ryo

filmemoを引っ越し、および再開しました



みなさんこんにちは。萩野亮です。


「filmemoを再開しました」などといわれても、「filmemo」って何、とお思いのかたがたいはんだと思いますが、わたくしが2008年から2013年ごろまで「はてなdiary」で書いていたブログです。Twitterをはじめたことや長きにわたる健康不安もあって、もうかれこれ5年以上放置していたことになりますが、残された2010年代の最後のときに、もう一度はじめてみようと思いました。


2017年の夏に何度目かの入院をして、その後休養につとめていたのですが、昨年の秋口よりじょじょに調子を取り戻し、このように文章を書くことができるくらいには恢復をいたしました。


心配と迷惑ばかりをおかけしたみなさま、ほんとうにごめんなさい。

 


いまは本を読めることがうれしい。映画や舞台を見られることがうれしい。王将の天津飯を食べられることがうれしい。物豆奇の無愛想なマスターの淹れる酸味と香りの高い珈琲を飲めることがうれしい。なによりものを書けることがうれしい。


病いはもうわたしの一部ですから、うまく手なずけながら、ともにひとつひとつの時間を、なるべくていねいに、生きてゆくほかありません。


はじめて入院をしたとき、詩書きの友人たちが一冊の文庫本を差し入れにもってきてくれたことを、いま思い出します。その序文にはこうあります。


ーー病いの底辺に喘いだあの激症期は、いまでもなお汲み尽くせないほどの実りをもたらしてくれた。〔…〕さまざまな健康を渡り歩き、しかもそれを幾度も繰り返した哲学者は、それだけ多くの哲学を経験したことになる。その者はそのたびごとに否応もなく、自分の状態を最も精神的な形式や、はるかに異質なものへと転換せざるをえないーーこの変容の技法こそが、哲学なのだ。 (F. ニーチェ、村井則夫訳『喜ばしき知恵』、傍点略)

この数行を、わたしは正確に理解する自信がありません。けれど、病床で読んだこのドイツの思想家のことばが、どれほどわたしに人間としての矜持を保たせてくれたことか。およそ6年をかけて、わたしは病いを経たのではない、病いという名の一冊の書物を経たのだと、いまはどうにかそう信じることができる。


というわけで、ーーどういうわけかは少しもわかりませんが、もう一度「filmについてのmemo」をつづることからはじめてみます。



2019年1月 萩野亮

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